上洛とはどういった意味なのでしょうか?わかりやすく解説したいと思います!
「上洛」は、音読みで「じょうらく」と読みます。
みなさん一緒に確認していきましょう。
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上洛とは?
上洛した家康は秀吉から諸大名の前で一芝居打つよう頼まれる/「どうする家康」第35回あらすじ https://t.co/GXjNJyOPAi
— ニッカンエンタメ・プレミアム (@nikkan_entame) September 9, 2023
上洛(じょうらく)とは、主に京都に入ることを意味する言葉です。
入洛(にゅうらく)とも言います。
上洛の由来は?
上洛の「洛」は、平安京を中国の都の名に擬えて「洛陽(らくよう)」と呼んだことにちなんでいます。
また一説に、平安京の左京を洛陽、右京を長安と名付けたが、右京が廃れたことから左京を指す「洛陽」が都を指す名称として使われるようになったとされます。
戦国大名にとっての上洛の意味は?
大河オタクの一言!皆さん戦国大河「どうする家康」を見てますか。豊臣秀吉は旭姫を徳川家康の正妻として浜松に送っても、家康が上洛をしてこない事で自らの母まで浜松に送ろうとしていました。その頃、秀吉の下に出奔した石川数正は大坂に屋敷は与えられたが、不遇の身となっていました。(後ろへ) pic.twitter.com/wseu7vw9LI
— まちたつ (@QOa2FRaFWLkv9ct) September 7, 2023
戦国大名にとって上洛の意味は、大名が軍勢を引き連れて京都に入ることで、
天下統一の第一歩になります。
戦国時代の武士にとって上洛の目的は、敵対勢力を排除して、中央政権の主導権を握ることを目指すことが多く、
上洛した大名は、日本中に大きな影響力を持つことになり、天下統一への大きな踏み台となりました。
この意味で戦国大名にとって上洛とは、天下統一への第一歩を指していたことがわかります。
織田信長は、35歳で上洛し、天下統一への道を着々と歩んでいきました。
織田信長は、古い権威ではなく武力によって新しい秩序を作ろうと考え、彼の上洛はその足がかりとして行われた。
足利義昭を奉じて上洛したことは、既に一時的な旧秩序の回復ではなく、武力による新秩序の形成と全国支配の手段にすぎなかったと考えられています。
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上洛するための条件は?
上洛するための条件は、以下の通りです。
朝廷や幕府への献金と、その土地で力を持つこと!
上洛するための条件は、朝廷や幕府への献金と、その土地での力を保持することです。
戦国時代の上洛は、中央政権の主導権を握ることを目指していました。
上洛の反対語は?
上洛の反対語は下洛(げらく)です、
下洛とは、都から地方へくだること。上洛に対していう。
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上洛とは?:まとめ
上洛とはどういった意味なのか気になり調べてみました。