野口みずきの現在や結婚した旦那や子供に経歴、プロフィールは?「マツコの知らない世界」

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テレビ

2021年9月14日火曜日20:57〜放送「マツコの知らない世界」に、金メダリストの野口みずきさんが登場しました。

金メダリストの野口みずきさんの現在の仕事や活動、結婚して子供がいるのか。経歴やプロフィールなどが気になり調べてみました。

野口みずきの現在は?「マツコの知らない世界」

2019年現在は大阪に在住し、岩谷産業のアドバイザーとして、広瀬監督のもと不定期で指導している。

現在は恩師・広瀬永和(ひさかず)さんが監督を務める「岩谷産業陸上部」のアドバイザーに就任していますが、今も本格的な指導者への転身は否定していました。

最近の主な活動は市民マラソンなどのゲストランナーを通じて競技の普及や、実業団のマラソンや駅伝などの解説者としても多忙な日々を過ごしています。

プライベートでは、「食育実践プランナー」を目指し、通信講座を受けているそうです。

 

食育実践プランナーでは、栄養の知識をはじめ、食材の選び方、献立の作り方、食事作法や配膳といった食文化などを学ぶものです。

 

野口みずきさんはマラソン選手引退後、夫の海外赴任で上海に渡り料理教室に通ったそう。

 

その際に料理への関心が高まったことをきっかけに、講演会などの機会に食や栄養の知識も加えたアドバイスがしたいと考えたため、資格取得を目指しているのだそうです。

野口みずきは結婚してる?「マツコの知らない世界」

結婚のお相手は40歳代のカンテレ社員Aさん。

2016年4月に引退して現役生活にピリオドを打った野口みずきさんですが、同じ年の7月4日に関西テレビ勤務の報道カメラマンと結婚して新たなスタートを切りました。

一般の方なので名前や顔は公開されていませんが、40代(当時)の男性と紹介されていました。

ふたりの馴れ初めは2003年にアテネオリンピックに挑戦する野口みずきさんのドキュメンタリー番組で、そこに旦那さんが制作スタッフとして参加したのが始まりだったそうです。

しかし、その時はカメラマンとして密着取材をしていましたが交際には発展しませんでした。

それから約10年近くが過ぎた2014年頃に急接近して交際に発展したそうですが、まだ現役選手だった事もあってオープンにはせずに極秘で交際していたそうです。

交際から2年でのゴールインでしたが、現役中は結婚しないと考えていたのかも知れませんね。

ちなみに、結婚式を挙げたのが2016年7月4日で入籍したのは同年5月だったと言われています。

野口みずきの結婚式や花嫁姿「マツコの知らない世界」

次は野口みずきさんの結婚式や花嫁(白無垢)姿を調べてみました。

出身の伊勢市宇治浦田にある猿田彦(さるたひこ)神社で10時頃から双方の家族だけで行われ、式を終えた後に伊勢神宮内宮(ないくう)を家族で参拝したそうです。

その時に野口みずきさんの貴重な白無垢姿がこちらです。

野口みずきの子供は?「マツコの知らない世界」

野口みずきさんには、現在子供はいないようです。

 

現在40代であり、まだまだこれから授かる可能性もありますが、本人の状況や意向については分かっていません。

野口みずきのプロフィール「マツコの知らない世界」

生年月日:1978年7月3日

出身地:三重県伊勢市

血液型:O型

身長:150cm

体重:40kg

趣味:音楽鑑賞

座右の銘:走った距離は裏切らない

野口みずきさんは、元マラソン選手です。

金メダリストであり、女子マラソンの日本記録・アジア記録保持者でもあります。

1978年7月3日、神奈川県に生まれた野口みずきさんは、後に三重県伊勢市に転居しており、三重県伊勢市を出身地としています。

植物の「ハナミズギ」か名前の由来となっているそうです。

音楽が好きで、ヒップホップ、エレクトロニック・ダンス・ミュージック、パンクロック、スカなど激しい曲調の音楽が好みで、レース直前もヘッドホンで音楽を聴いていました。

また、海外合宿の際も音楽専門チャンネルの「MTV」をよく視聴しており、2004年のアテネ五輪では特に「SOULHEAD」の「LOVER、KNIGHT、MAN」が思い出深いと述べています。

野口みずきの経歴「マツコの知らない世界」

野口みずきさんは、伊勢市立厚生中学校に通い始めた1年生の時に友達に誘われて陸上部に所属すると、中距離走の才能を開花させ、三重県立宇治山田商業高校時代はインターハイで3000mに出場したり、駅伝で活躍しました。

高校卒業後は、ワコールを経てグローバリーに入社すると、犬山ハーフマラソンで優勝したことをきっかけにハーフマラソンに注力し、その後、1999年10月に開催された『世界ハーフマラソン選手権(パレルモ)』で銀メダルに輝くなど、世界トップレベルの選手と競い合いながらも上位入賞をし続けます。

そんな野口みずきさんの前に立ちはだかったのが、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さんです。

「高橋尚子選手のようにオリンピックの女子マラソンで優勝したい!」と思った野口みずきさんはフルマラソンに転向し、好成績を残してアテネ五輪出場を果たすと、見事に金メダルを獲得しました。

翌2005年9月25日開催のベルリンマラソンでは、2時間19分12秒の大会新記録で優勝し、この記録は今なお日本記録・アジア記録となっています。

しかし、北京五輪欠場、リオ五輪代表落選など、アテネ五輪後はケガに苦しみ、2016年4月15日に引退会見を開いて所属チームのシスメックスを退社しました。

優勝したハーフマラソンの大会

野口みずきさんは1999年に出場したハーフマラソン「犬山ハーフマラソン」で優勝したのを皮切りに、数々のハーフマラソンの大会で優勝しています。

優勝したハーフマラソンの大会は以下のとおりです。

  • 1999年「名古屋ハーフマラソン」
  • 2000年「士別ハーフマラソン」
  • 2000年「山陽女子ロードレース」
  • 2001年「全日本実業団ハーフマラソン」
  • 2001年「東アジアハーフマラソン」
  • 2001年「名古屋ハーフマラソン」※大会記録
  • 2002年「宮崎女子ロードレース」
  • 2002年「網走ハーフマラソン」※大会記録
  • 2003年「全日本実業団ハーフマラソン」
  • 2003年「神戸全日本女子ハーフマラソン」
  • 2004年「宮崎女子ロードレース」※大会記録
  • 2006年「全日本実業団ハーフマラソン」
  • 2006年「札幌国際ハーフマラソン」※大会記録
  • 2006年「上海国際ハーフマラソン」※大会記録
  • 2007年「宮崎女子ロードレース」
  • 2007年「仙台国際ハーフマラソン」
  • 2007年「札幌国際ハーフマラソン」
  • 2008年「仙台国際ハーフマラソン」
  • 2013年「仙台国際ハーフマラソン」

 

上記以外の大会でも10位以内、特に5位以内に多々入賞しています。

また、2006年の「香川丸亀ハーフマラソン」では2位入賞となりましたが、当時の自己最高記録、そして日本歴代2位を記録しています。

10位以下の入賞となったのは2015年の「リスボン・ハーフマラソン」のみで、この大会では15位に終わっています。

ハーフマラソン以外には、1000m、30kmに出場しています。

1000mの大会である、2001年「世界陸上競技選手権 エドモントン大会」では13位でしたが、2004年「兵庫リレーカーニバル大会」では4位入賞、自己最高記録と当時の日本歴代8位の記録を残しています。

30kmの大会には2004年に「青梅マラソン」に出場、優勝しています。また、日本最高記録も残しています。

まとめ 野口みずき「マツコの知らない世界」

2021年9月14日火曜日20:57〜放送「マツコの知らない世界」に、金メダリストの野口みずきさんが登場しました。

金メダリストの野口みずきさんの現在の仕事や活動、結婚して子供がいるのか。経歴やプロフィールなどが気になり調べてみました。

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